映画『スーパーマン』レビュー|完璧じゃない”マン”が、2025年に必要だった理由

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言わずと知れたヒーロー作品の金字塔、スーパーマン

これまで何度も映画・アニメ化がなされてきたが、今年7月に最新のリブート映画が公開された。監督・脚本は、競合のマーベルにて『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズを手掛けたジェームズ・ガンで、彼は2022年、ワーナー・ブラザース傘下に新設されたDCスタジオのCEOに就任することとなった。MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)の立役者が、まさかのDCユニバース再建の要となる人事が発表された、ということになる。

そして、その再建の皮切りとなるのが今作というわけだ。

マスターピース!

結論から言うと、傑作。

陰謀論や生成AIから紛争に至るまで様々な無秩序とカオスがひしめく現代を、それでも地に足つけて立ち続けることそのものを逃げずに描ききった”スーパーヒーロー作品”だった。これまでのスーパーマンは「スーパー」であることにフォーカスしていたならば、今作は「マン」に重きを置いていたといえる。

インパーフェクト

本作のスーパーマンは、空を飛び回り、超人的な力を持ち、目からレーザーを放つというのに、完璧じゃないんですよ。冒頭1分で血吐きながら惨敗しているし、SNSのクソみたいなハッシュタグにはキレるしで、見ていて危なっかしい点も多々ある。

だけど、そのキャラクター性こそが、である。

「スーパー」である前に「マン」であるということ。地球外から来た来訪者(≒移民)が、実は我々地球人(≒ネイティブ)と変わらず、「善く生きるとはどういうことか」について常日頃考え続けているという、垣間見える等身大の姿。隣人の顔すら認識していない現代において、これほど人間臭い話があるだろうか。

カウンター

クリストファー・ノーラン監督以降のダークで陰鬱なアメコミ映画ムーブメントに対する揺り戻しでもなく、かといって単純な原点回帰オリジン的な映画でもない、今の、2025年でしか生まれ得ない時代性と必然性に溢れていた。ダークなアメコミへの、そして現代そのものへのカウンターたる、痛快で真っ直ぐで真摯な映画。

こいつはモロにイーロン・マスクだし、

レックス・ルーサー -映画『スーパーマン』本編より-

こいつのことは絶対に誰もが好きになる。

グリーン・ランタン -映画『スーパーマン』本編より-

劇中における二つの国家による紛争はまさに現実世界で起きていることをそのまま準えているわけで、それに対して「市民が殺されそうになっているんだぞ!!」と悲痛な叫びを放つスーパーマンに魂が震える。自分も含め、「遠い外国で起きていることだから……」と多くの非当事者が抱いている潜在的な意識を根幹から揺さぶるような言動に、全身が痺れる思いだった。

人間として

観終わる頃にはどのキャラも大好きになってしまうのがジェームズ・ガンの剛腕だ。上に載せたグリーン・ランタンを筆頭にジャスティス・ギャングの面々も最高に大好きになったし、クリプト(犬)は撫でまくりたい。そういうフレンドリーさを備えた映画でもある。

やっぱり、人間が生きていくにはいつだって「人間性を捨てずにいること」しか道はないと僕は思っているんですよ。「自分にしかできないこと」なんてたかが知れてるけれど、それでも「自分でしかいれない」わけで。その代替不可能性を固く握りしめて歩いていくしかないという、至極当たり前な真理。

そんなことを思い出す一方で、笑えるし、痛快だし、かっこいいし、ハートフルな作品だった。軽々しく言いたくない言葉だけど、今こそ全人類観るべきだと思った。

今年もクソ暑い夏が来ているが、涼しい映画館でこの美しい映画を観ませんか?

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