『サンキュー、チャック』という映画を観た。日本公開は2026年5月1日で、主演はトム・ヒドルストン。
結論から申し上げますと、2026年ベスト映画でした。以下にネタバレありでレビューしていきます。

あらすじ
作家スティーブン・キングが2020年に発表した短編小説「チャックの数奇な人生 イフ・イット・ブリーズ」を、「ドクター・スリープ」のマイク・フラナガン監督が映画化したヒューマンミステリー。
大規模な自然災害と人災が次々と地球を襲い、世界は終わりを迎えつつあった。インターネットもSNSもつながらないなか、街頭やテレビ、ラジオに突如として、「チャールズ・クランツに感謝します。素晴らしい39年間に、ありがとう、チャック」という謎の広告が大量に現れる。高校教師マーティーが元妻フェリシアに会うため家を飛び出すと、誰もいない街はチャックの広告で埋め尽くされていた。無事に出会えたマーティーとフェリシアが星々を眺めながら終末の到来を感じ、手を握り合っていると、場面は一転して広告の人物・チャックの視点に切り替わり、彼の人生をさかのぼる物語が美しい映像で紡がれていく。
『あらすじ』より
ミスリードすぎる! こう書くしかないんだけども……。
そして、予告も物語における本質と位相が若干異なっている。「トム・ヒドルストン演じる主人公の人生賛歌!ダンスシーンは圧巻!」的なプロモーションが、鑑賞後の印象としてはやっぱり違くね? というか。いや、まあ合ってるっちゃ合ってるんだけども……。
第三章 ありがとう、チャック
スクリーンに映し出される「第三章 ありがとう、チャック」というテロップと、キウェテル・イジョフォー演じる教師が世界の異変に気付くところから物語が始まる。この時点で勘の良い人は気付くかもしれないが、本作は第一幕が最終章、つまり物語が遡っていく構成となっている。
第三章では世界の崩壊が描かれる。全世界的に津波や噴火、疫病などが発生し、死傷者も多数出ている中で、突如街中に現れる「ありがとう、チャック」という、スーツを着た謎の男性が映る広告。劇中の人物たちはついぞその正体がわからぬまま、電気やネットなどのインフラが断たれ、最終的には夜空の恒星たちが光を失い、画面はブラックアウト。
第二章 大道芸人、サイコー
すかさず物語は第二章へ。サブタイトルは「大道芸人、サイコー」だ。どういう温度差?
このセクションでは先ほどまで広告に掲出されていた男性チャックが登場し、ストリートドラマーの演奏に合わせてダンスを披露し、そこで出会ったひとたちと交流をするという、特別な日が描かれる。確かに、後々に人生を振り返ったときに記憶に残る一日ではあったのだろうけれど、さながらディザスタームービーであった第三章と比べるとあまりに”日常”だ。
第一章 私の中には無数の人が存在する
そして、物語は最終幕である第一章「私の中には無数の人が存在する」へ。
このサブタイトルで、またも勘の良い人ははは~~ん? となるわけだ。
第一章で描かれるのは、チャックの幼少期~高校時代。チャックがなぜダンスが好きになったのか、両親や祖父母との別れ、会計士へ進むきっかけなどが描写される。これまでの第三章、第二章で散りばめられた伏線が、淡々と回収されていくが、あくまで「第一章」であるため、物語の起点にもなっている構成なのが巧い。
死は”僕の”世界の終わり
その最も大きな伏線が、第三章で崩壊していく世界というのは、若くして脳腫瘍で病床に臥すチャックの脳内宇宙だということだ。現実でのチャックの病状の進行が、第一章における世界の崩壊とリンクしており、つまりチャック自身の死は彼が紡いできた世界の死と同義であるということが、直截的に描かれる。
家族、友人、好きだった音楽、通った街、忘れられない”あの日のダンス”……。
それらは客観的には存在し続けるが、チャック本人にとっては消滅する。だから本作は世界の終わりを描いているのではなく、『ひとりの人間が抱えていた宇宙』の終焉を描いているのだ。
第三章の世界で突如現れた「ありがとう、チャック」という謎の広告は、病状に臥した現実のチャックにかけられた家族らの言葉だったのだ。末期症状であるチャックはその言葉にリアクションできないが、脳内世界に大きく干渉するほど影響を及ぼしているという点で、想いは届いているということがわかり、切なくも温かくなる演出だったというわけだ。
一言で言えば「幼少期に両親を亡くした少年が大人になるも、若くして病にかかり亡くなってしまう」という、不幸ではあるが、こうして要約するとストーリーとしてはあまり起伏のないように思えてしまう内容を、ディザスター・ホラー・ミステリ・SFと変容していく巧みな構成と演出により「誰しもが誰しもの魂を形作り得る物語」として描いている。
こんなの、グッとこない人なんていませんよ。
屋根裏部屋の正体
第一章のラストで、幼少期のチャックを育ててくれた祖父が唯一の秘密として教えてくれなかった「屋根裏部屋」に、祖父が亡くなった後ついに立ち入ることになる。
「その屋根裏部屋には幽霊が出る」と祖父は語っていたが、実際には何の変哲もない部屋だった。が、立ち去ろうとしたチャックの耳に、心電図の「ピッ……ピッ……」という音が聞こえてくる。振り返ると、病床に臥した将来の自分の幻が姿を現す。
その部屋は、”自分や近しい人に迫る死が幻となって現れる部屋”だったのだ。
センス・オブ・ワンダーと人間賛歌
本作はそこで幕を閉じるのだが、このバランス感覚も非常に良かったように思う。ある種のオカルト的な設定だが、人が生きる上でこうした「センス・オブ・ワンダー」は意外と起きるよねという、ある種の遊び心のようなものを感じたからだ。
〈私の中には無数の人が存在する〉
自分の紡いてきた人生は、自分が出会ってきた人々がいるからこそ成立していて、そのどれもが、これまでの自分を形作ってきた。
一方で、「数学」では解明できないSF(すこしふしぎ)も、スパイスとして存在している。そんなかわいげのある人間賛歌が、第三章から第一章へ遡るように通底していた。
合理性だけでは人生は説明しきれないし、だからこそ人は物語を必要とする。そんなシンプルにしてつい忘れがちなことを、まざまざと思い出させてくれる映画だった。



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