推し活ブームに乗れない僕と君へ。

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「推し」がわからない。

いや、わからないというより、自分の中で落とし込めていないに近い。好きなアーティストやバンドはいても、「推し」かと言うといまいち首を縦に振りきれない。


そもそも「推し」とは何か。こういうときに、人はWikipediaを開く。

Wikipediaより

自分が好きなのは前提として、”他者に薦めたいほど好きかどうか”がポイントらしい。バンドや映画のレコメンド記事を書いているという点では、このサイトも推し活をしているといえそうだが、どうもしっくりこない。推しという名詞史上初の連用形に。

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3年ほど前に知人と話しているとき、「『推し』は自己欲求の代理実現の表れ」ではないかという説が出た。自分の欲望を推しに投影して成長や進化を自分ごとのように喜ぶといったものだ。『推しが武道館いってくれたら死ぬ』という漫画もあるくらいだし、鋭い指摘かもしれない。応援している対象の知名度や好感度が上がるとなぜか自分も誇らしくなってくるという情緒の機微は、非常に人間的で誰しもに当てはまる気はする。


という一方で、やっぱり僕にはこの感覚がわからない。今ステージに立っているアーティストがいかに苦労し大成したかというナラティブには、感動こそすれ自身の欲求まで投影しきることはできない。他者との境界があまりに強固で、他者は他者という潔癖性があるからなのかもしれないけれど、こういう人って結構多いと思うんだよな。


他者に薦めずとも、屋根裏の秘密基地でひっそりと没頭する趣味に勤しんでもいい。誰に届くでもないニヤけ顔で、今日も自分の好きを自分に推していこうね。

必ず手に入れたいものは 誰にも知られたくない
この記事を書いた人
大トロゼウス

社会人。音楽(特に邦ロック)、映画、酒、ロボアニメが好き。多趣味すぎて何も究められていない。

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