先日リリースされた米津玄師のアルバム『LOST CORNER』のディスクレビュー後編です!
前編はこちら。
曲目リスト
- RED OUT (Spotify ブランドCMソング)
- KICK BACK (TVアニメ「チェンソーマン」オープニング・テーマ)
- マルゲリータ + アイナ・ジ・エンド
- POP SONG (PlayStation(R) CMソング)
- 死神
- 毎日 (日本コカ・コーラ「ジョージア」CMソング)
- LADY (日本コカ・コーラ「ジョージア」CMソング)
- ゆめうつつ (日本テレビ系「news zero」テーマ曲)
- さよーならまたいつか! (NHK連続テレビ小説「虎に翼」主題歌)
- とまれみよ
- LENS FLARE
- 月を見ていた (「FINAL FANTASY XVI 」テーマソング)
- M八七 (映画「シン・ウルトラマン」主題歌)
- Pale Blue (TBS系 金曜ドラマ「リコカツ」主題歌)
- がらくた (映画「ラストマイル」主題歌)
- YELLOW GHOST
- POST HUMAN
- 地球儀 (スタジオジブリ「君たちはどう生きるか」主題歌)
- LOST CORNER
- おはよう
全曲レビュー(後篇)
全曲感想の続き、いきます。
M八七
ついに米津がシン・ユニバースへ進出!散々言われているが、ウルトラマンを「痛みを知る ただ一人」と形容するセンスが非凡すぎるし、
翻る帽子見上げ
も小学生のときに流行ってた赤白帽を裏返してウルトラマン!ってやるやつのことですよね?と気づいてゾゾゾ……となった。この男、M78星雲から来たのか?
Pale Blue
実を言うとこの曲はリリース当初はあまり刺さらなかったんですよ。やたら転調が多い展開とタイアップソング特有のキャッチーさがゴチャついているように感じていたから。でもこのアルバムで、この流れで聴くと、ここの位置でしか有り得ないだろうなというフィット具合があまりにジャストで、通しで聴くと飛ばさずに何度も聴いてしまっています。不思議だ……。
がらくた
映画『ラストマイル』主題歌に書き下ろされた曲。あなたは壊れてないよと言うのではなく、「壊れていてもいいよ」と示すことに、いったいどれほどの人が救われているのだろうか。曲調としては身も蓋もない言い方をすると”JPOP然”とした曲で、このメッセージを伝えるにはこのサウンドが最適解という意図があったように思える。JPOPであるということから一切逃げずにいる。
YELLOW GHOST
『がらくた』からの繋ぎが完璧すぎるイントロで始まるこの曲は、サビの瑞々しいSEが爽快な一方で”性愛”について歌ったという生々しいものになっている。
愛は買えない
はスピッツの『運命の人』にある「愛はコンビニでも買えるけれど」へのアンチテーゼなのかな。
POST HUMAN
今作の中でもずば抜けて退廃的でディストピアライクな雰囲気が漂うダークな曲。AIについての楽曲らしく、クリエイターとしての、あるいは一人の人間としての静かな絶望や諦観を感じる。サビにおけるメロディの絶妙な不協和音みにこれぞ米津といった趣があり、ハチ時代や『diorama』が好きな人にも刺さる気がする。この”ギリギリ気持ち悪くならない”ライン引きが相変わらずうますぎる。
地球儀
ついに、あのジブリの主題歌に大抜擢。もうクリエイターとして”あがり”だろ……と思っていたが、本人にとってもこれ以上ない名誉とのことで、プロジェクトが終わった後はちょっとした燃え尽き症候群になっていたらしい。そらそうよ。映画も観に行ったけど、あのエンディングで流れる地球儀は本当に素晴らしかったな。映画の内容も良かったから、エンドロールで口半開きになるくらい喰らってしまった。
LOST CORNER
ここに来て表題曲!軽やかでチルな曲。数年以上、20曲近くを経た壮大な旅路の果てに”それはそれで”と着地することには大きな意味があると思った。
生き続けることは 失うことだった
に、どうしても宇多田ヒカルの『One Last Kiss』にある
誰かを求めることは
即ち傷つくことだった
のフレーズを彷彿させる。『とまれみよ』の踏切にエヴァみを感じると書いたけど、やっぱりこの印象は中らずと雖も遠からずな気がするんだよな~。
おはよう
ツアー『空想』のエンディングとして使用されていたSEをブラッシュアップした楽曲。こんな温かくてアンビエントな曲に『おはよう』と名付けるの、そしてこれでアルバムを締めくくるの凄すぎる。
タイアップアルバムの解とは
今作は既発曲が多くを占める中で新曲も大量に収録することで大作アルバムとなったわけだが、トップシーンを走るアーティストがリリースする楽曲には毎回何かしらのタイアップがつき、半ば飽和状態になっているのは見ての通りである。それにより、シングルをアルバムに収録すると単純なタイアップソング集になりかねないという懸念がある。例を挙げるなら、VaundyやBUMP OF CHICKENなどだ。
前者はアルバムを二枚組にして新曲・タイアップ曲をDisc1、旧曲のリテイク含む配信シングルをDisc2にまとめるというコンセプチュアルな構成にし、後者はシングルカットされたタイアップ曲たちに新曲を一曲加えるというミニマムなアルバムとした。対して米津は、タイアップ既発曲に新曲9曲を加えた大ボリュームなアルバムとした上に、そのすべての温度感やバイブスに統一感を持たせるという、ある種怪物的な仕事を成し遂げてしまっている。CDが売れない時代における新境地的な快挙だ。そしてそれがセールスに直結しているのも恐ろしい。
世界はクソ、それでも……
暗澹たるコロナ禍の世界でも光を探すことを諦めないような空気が漂っていた前作『STRAY SHEEP』のリリースから四年を経ても、なお進む世界の分断、それに対する不安や葛藤、毎日のつまらなさ、みたいなものが今の彼の根底にあるように思う。人がたやすく「スランプ」と表現するやるせなさとはまた違った性質の澱んだ沈殿物みたいなものが、このアルバムの底に沈んでいる。
米津ほどの天才にもスランプが……!?ということを言いたいのではなく、誰しもに普遍的に沸きかねないこの”日々のつまらなさ”を、切実に誠実に描いているのだと思う(そもそも彼は「天才」とか「才能」といったフレーズを軽々しく使用することにかなり敏感だ)。
以前ライブで「自分の船に誰一人取りこぼしたくない」という旨の発言をしていたのを覚えている。が、今作におけるムードはそこから若干変容しているのかも?と感じている。今作の楽曲たちや本人のインタビュー記事からは、このクソボケナスな世界は依然変わらないが、それでもあなたと話がしたいと、こちらの目を真っすぐ見つめているような印象を受ける。
変わらない世界でもやはり諦めたくない。そのためには目の前の人<あなた>と、対話をしていくしかないという、裸足で地に立つ純朴さがある。僕もいい年になってきたので、「全員〇してやる!」みたいな若き頃のパンキッシュ精神が最近鳴りを潜めてきていて、「結局人は人を理解しようとすることから逃げないでいるべき」みたいな、泥臭さを大事にしたいという思いが芽生えてきたのですよ。多分彼も同じなんだろうなと。
人間が歳を重ねて丸くなるというのは一種のあるあるなわけだし、こうした変化はある意味凡庸だといえる。でも、そういったことを米津のようなアーティストが発信していくこと、また、アルバムという媒体で非言語的に包含させているのが本当に凄いと思った。
米津玄師と飲みに行きたい
なんかもう、いろいろ書いたけれど結局は「米津と飲みに行きたい」に全部収束する。よねちゃんって「暗い奴かと思ってたけど話すと聡明だし意外とおちゃめでかわいい奴なんだよな」って一緒に飲みに行ったオジサン全員から思われてそうじゃないですか?
これがプロモーションによる人格形成ならとんでもないことだが、僕みたいな喋ったこともないただのファンにもそう思わせる魅力があるというのはもっととんでもないと思うんですよ。時折配信するインスタライブでも、訥々とことばを選んで発言していく様子が、ミュージシャンとしてトップオブトップであることに自覚的でありながらも常に誠実であろうとしているように思えて感動してしまう。
なんだかよくわからない感想に着地したけども、こんなことまで考えてしまうとんでもない傑作アルバムですよ。2024年はこれを何度も聴き続けるんだろうな。未聴の方はぜひ聴いてみてほしいです。それでは!
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