第一話と同じ姿のヒーロー、ピンチに駆けつける別作品主人公、「お前を倒すのは俺だ。こんなところで倒れては困る」という台詞、変形合体とコンバージョン、新装備、互いの武器交換、前作のヴィランが助太刀、決め台詞の意味が判明、残された謎の回収、最終決戦で新旧OP流し、敵の形態変化、最終形態揃い踏みで新必殺技ラッシュ、EDで一作目の劇伴流し、ポストクレジット日常Cパート……映画「グリッドマン ユニバース」はこれ全部やってくれるんすよ。「見たいものが全部見れた!」のはもちろん、「俺ってこういうのも見たかったんだな…」と潜在的な欲求も発掘するような、情熱のわんこそばみたいな映画。
あまりに感動してしまったので、ガッツリ核心に触れつつ感じたことを記します。
またもやマルチバースと自己言及、そして、救済
本作の舞台はSSSS.GRIDMAN最終話から地続きとなっている。グリッドマンがハイパーワールドへ帰還し、裕太が裕太としての人格を取り戻した後、ツツジ台高校学園祭準備に追われる中、裕太は六花に告白したいと内海へ相談する。が、そこへ再び怪獣が現れ……というストーリー。
エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスの記事でも書いた通り、最近はマルチバース作品と自己言及的映画が本っ当に多いけど、今作もその例に漏れない。
内海と六花のクラスは学園祭の出し物として「グリッドマン物語」という演劇を行う予定で、その台本を裕太に読んでもらうというくだりがある。が、裕太にグリッドマンが宿っていた二か月間は、裕太の人格そのものがグリッドマンとなっていたため、台本の感想を求められるも「記憶喪失だから覚えてないんだけど、奇抜な話だね…」とこぼす。これはまさに特撮版グリッドマンを知らない現実世界の人々とオーバーラップできる(特撮版グリッドマンは30年前の作品にしてコンピュータ内の電脳世界で戦うというプログレッシブすぎる設定故に”早すぎた名作”と言われることも多いからだ)。また、終盤でサプライズ参戦する新条アカネについても登場シーンが実写なのも相まって、アカネ≒現実世界のファンと解釈することもできそう。
もちろんマルチバース作品とは切っても切れない”救済”も用意してある。例えば、六花がちせのタトゥーを「かっこいいね」と言うシーン。別世界で初めて出会った、年齢も境遇も全く異なる女の子に言われたこの言葉で、孤独を感じていたであろうちせにとってどれだけ救いになったのか想像に難くない。さらに、終盤ではSSSS.GRIDMANにおけるヴィラン「アレクシス・ケリヴ」にすら再登場の機会と救済を与えていた。これもうスパイダーマン ノー・ウェイ・ホームだろ。
膨・大なオマージュとファンサービス
特撮はそもそも作品数があまりに多いのでオマージュシーンを書き連ねるだけで日が暮れちゃうんだけど、特に印象に残ったのが絶対アベンジャーズをリファレンスしてるんだろうなという点。ドムギラン戦でグリッドマン+アシストウェポン+グリッドナイト+ガウマ隊が勢揃いする構図は完全にエンドゲームのそれだし、ポストクレジットの麻中家での食事シーンは、ニューヨークでの戦いの後疲弊したアベンジャーズメンバーがシャワルマを食べるシーンを彷彿させる。特に後者については僕も大好きなシーンで、戦闘後の食事というド日常を描くことで(後述する「私は弱い」というおよそヒーローらしからぬ台詞にも繋がるが)、ヒーローも我々と変わらぬ生活の一端を過ごしていることが垣間見えて嬉しくなる。
アベンジャーズのポストクレジットより。みんな疲れてておもろい。 |
他にも、最終決戦後に横たわるダイナレックスの作画は故・生頼範義氏によるゴジラvsメカゴジラのアートワークに描かれるラドンのオマージュのようだったし、
生頼範義氏のイラスト。しおらしいラドン。 |
完璧な主役機交代 |
そしてもちろん電光超人版のファンにとってもたまらないシーンが盛りだくさん。裕太を助けるバイクの青年は電光超人グリッドマンに登場する翔直人役の小尾昌也氏が、マッドオリジンは第1話にてギラルスの声を演じた神奈延年氏が声優を務めているし、それ以外にもオマージュが39個あるとのこと(電光超人グリッドマンは全39話であることにちなんだイースターエッグ)。近年の作品のオマージュとしては、ダイナレックス⇒ダイナゼノン変形後のちせによる名乗り口上はウルトラマンZの「ご唱和ください!」的だったし、新旧特撮ファンへ向けた目配せも特筆すべきものだ。
SSSSシリーズファンへ向けた最大のファンサはもう裕太&六花のロマンスでしょう。このシリーズの大きな特長といえばキャラ同士の会話のリアリティだと思っていて、「~だわ」「~わよ」と話すようなステレオタイプで記号的な女性キャラがほとんどいないし、特にラストの裕太の六花に対する告白シーンの湿度感はもう本当に高校生がそこにいるとしか思えない。あの告白するとき特有の空気感をアニメで表現できるのどうなってんだ。一生やっててほしい~!
幼少期、特撮作品は日常パートをすっ飛ばして戦闘シーンばかり見ていた僕(今思えばヤバすぎる奴)からしても、日常パートと戦闘パートのバランスが素晴らしいと思う。どちらか一方が崩れると一気に破綻するのが特撮というフォーマットの定めだが、SSSSシリーズはそのあたりが本当に見事だと改めて思い知らされた。
再定義って、なに?
この作品の最も凄いところの一つ、それは”グリッドマンを私物化しようとする存在”と規定されたラスボスを打ち砕く物語にしたところにある。「30年前の特撮作品の正統続編アニメ」という、それだけで狂信的な原理主義者から叩かれかねないのに、”早すぎた名作”とされるコンテンツを私物化するという、アニメ監督が陥りかねないであろうダークサイドから目を背けることなく真っ向から向き合う姿勢に心打たれてしまった。アレクシス封印後のグリッドマンに付け込んだ本作の黒幕マッドオリジン/裕太に負い目を感じていたグリッドマンによる闘いは、雨宮監督自身の心の相克ともいえるのかもしれない。
そして、最後の最後の決め台詞が「私は弱い!」なのが凄すぎる。聞いたことないよそんなの。子供の頃夢見ていたヒーローは無敵で完璧だと思っていたが、それは違うのだとヒーロー自身が吐露することで、”弱き存在”として再定義がなされる。弱さを受け入れ、そばにいる者たちのおかげで独りじゃないと知る。思い返せば最初から歌詞に書いてあった。
怯えないで もう君は独りじゃない
グリッドマンは誰のものでもないのだと、グリッドマン自身が伝える。劇中劇と絡めるストーリーラインやメタい台詞によるやはり徹底した自己言及構造と熱意で、とてもかっこいい創作姿勢だと思った。原作表記が電光超人やSSSS.GRIDMANではなく「グリッドマン」になっていたり、これからもよろしくといった旨の台詞から、二次創作も含めたすべての「グリッドマン」を肯定するメタファーだと捉えられる。なんて温かなメッセージなのだろう。
あと、もう当然すぎて敢えて書くことでもない気がするけど本作も主題歌・挿入歌が改めて良すぎ。今作の「uni-verse」も有り得ないほど転調しまくることでマルチバースを表現してるのとか新機軸で面白い。
マルチバースは可能性の貸借なので自分を超えるビルドゥングスロマンと相性がいいというのは再三書いているが、”有り得た自分の力を借りて現在地を愛す物語”がエブリシング~なら、グリッドマン ユニバースは”出会うはずのなかった人たちの力を借りて強くなる物語”だ。違いはあれど、根幹に通底するものはシンクロしているように感じた。
虚構を信じる人間を信じるということ
劇中でのアノシラスの台詞にもある通り、「人間は虚構を信じることができる唯一の生命体」である。裕太や内海や六花はレプリコンポイド(電子生命体)という造られし存在だし、現実にはそもそも巨大なヒーローはいない。だが、アンチがグリッドナイトという本物のヒーローになったように、アカネと六花の間に真の友情が芽生えたように、虚構を信じることで真の力が宿ることもある。その力で、昨日の自分より少し強くなれるというメッセージ。そして、そのメッセージ信じる人間を信じるという、実にTRIGGERらしい呆れるほど王道だからこそ痛いほど伝わる作品なのではないだろうか。
SSSSの二作以外の過去作だと特撮版1話と18話、アニメ(ーター)見本市で大人になった藤堂が変身する短編アニメ「電光超人グリッドマン boys invent great hero」しか見ていなかった僕ですらここまで響いてしまった。観終わったらラーメンでも食べに行こうかな♪とか思ってたけど、公開前舞台挨拶で裕太役の広瀬裕也氏が言っていた通り「観るだけでお腹いっぱいになってしまった」ので、コンビニで野菜スティックだけ買って帰る始末。
他にも色々書きたいことはあるけど既に長すぎるのでこの辺で終わりにしておきます。現時点で今年No.1映画であるのはもちろん、魂に刻まれた作品でした。舞台挨拶やパンフレットのスタッフインタビューを見る限り、今後もユニバース展開はまだまだ続くみたいだし(プロット原案の名残で登場していた、やたら目立ってたピンク髪のモブキャラ等拡げる余地はいくらでもありそう)、SSSS.GRIDMAN、SSSS.DYNAZENONと合わせてこれから何度も観直すであろう大切な作品の一つに出会えて感無量です。アクセス・フラーッシュ!!バトル・ゴーッ!!

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