邦楽・洋楽入り乱れるフェスのノリ方問題について感じたこと

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クロージングしたというのに毎日毎日サマソニの客のノリ方問題についての苦言が流れてきて心底ウンザリしている。邦洋入り混じるフェスにおける各ファンダムのマナーについての苦言が流れてくる現象というのは誇張抜きに毎年のようにあって、よくもまあ君たち毎年飽きもせずにくだらんことばかり……と思うのだが、当然、毎年苦言を呈している人は違う人で、それを毎年観測している自分こそがTwitterから離れられない老害であるという見方もできるのかもしれないけれど、そんな無駄な自虐をウダウダ言ってるだけではそれはそれで精神衛生上良くない気もするので、ここらで状況と自分の考えを整理したいと思う。一文ながっ。

地蔵とノリ方

TLに流れてくるサマソニの客マナー問題については、大きく二分できる。「地蔵問題」「ノリ方問題」だ。

前者は目当てのアーティストの前のアクトで前方エリアを占拠し、盛り上がりもせず突っ立っていることを揶揄したものだ。これについては、至極単純に「フェスなんだから前方を乗っ取るなら盛り上がるか興味くらい持てや」に尽きる。

そして、よりホットに盛り上がっているのが後者だ。邦楽ファンと洋楽ファンで、フェスにおけるノリ方が異なるという指摘。邦ロックファンがよくやる腕をグッパグッパしたり、指を演者に向けて前後に振ったりする動作を、洋楽ファンが気味悪がっているという構図だ。2年前のビバラロックに出演した星野源が「みんなで一緒に手を上げるやつやめてみない?」と発言したのも記憶に新しい。

こういうやつ

邦ロックにおける”コード”

今でこそ邦楽も洋楽も聴くようになったとはいえ、僕は「邦ロックキッズ」としての歴史が長い。ロッキン系のフェスには毎年のように行っていたし、サビでは手を前後に振っていたし、テンションが上がればモッシュに参加したりツーステで乗ることもあった。

そのノリこそが一般的な邦ロックにおける”コード”であり、そのコードに則ることでノリの形成に加担できるという螺旋構造になっているのである。冷静に考えれば、みんなで同じ動きをしていることを「自由ではない」と言い切ることは可能だが、「そんなこと言ってもみんなやってるし、俺は楽しんでるし」と返されて終わりだろう。というか普通に楽しんでるんですよ、やってる側としては。

自由と祝祭の場

一方で洋楽ファンからすれば、その光景が不可解に映るということも多いようだ。

なぜか。

一般的に、フェスに訪れる洋楽ファンは、音楽に対してより”祝祭感”や”自由であること”を求める傾向が強いように思う。

これは、「公用語ではない言語で歌われる音楽を好きである」ということと無関係ではないと思う。独自の言語が母語となっている国において、洋楽を聴くことがそもそもオルタナティブなのである。

故に、みんなで同じ動きをしている様子が不気味に見える。オルタナティブな選択をしている自分たちにとって、ある種ノンポリ的な姿に見えて嫌だという人も多いだろう。

海外アーティストの公演も行くようになってからは僕もフロアで自由に過ごすようになったので、その感覚にも一定の理解はできる。

「音楽」の無謀さ

邦ロックファンとしては、自分たちはあくまで所与のコードに則って一体感を楽しんでいるのに、それを「気持ちが悪い」と言われても「えぇ……?」だろう。

一方で、洋楽ファンはその姿を見て「その感覚がおかしいんだよ」と言ってしまうといういたちごっこに過ぎない、という話ではある。お互いの文脈や歴史を理解しない限り、永遠に紛糾し続けるだろう。

思うに、音楽は「音楽」と括るにはあまりに大きすぎる概念なのだと思う。東京ドームを即完させる海外アーティストのライブにも、平日にキャパ80人のハコでライブをするような国内インディーバンドのライブにも行くので、その思いはますます強くなっている。こんなの同じジャンルにするの無理があるだろって。

気にしない

「多様性」とは何だろうと、最近よく考える。職場の研修などでも「多様性に目を向けよう」「いろんな考えを認めよう」といった言葉がしきりに語られる。そんなもの、「多様性」なんてワードが普及する以前から当然だっただろうがとしか思えないのだけれど。

そんな現代において、多様性とは何かという問いへの答えの1つには「気にしない」ということがあるのではないか、とも考える。自分と全く異なる見た目・考えの人が隣人にいても、気にせずに過ごすということ。「いろんな人がいていいよね」なんて、もはや言葉としてぬる過ぎるが、有史以来当たり前のことでしかない。通勤電車の中でしゃべってる人がいても寝てる人がいても変顔してる人がいてもいい。お互いがお互いをどうでもいいと感じつつ、困っていたら手を差し伸べる社会が理想ではないか。

サマソニのような邦洋入り乱れるフェスでは、今後どんどんジャンルの垣根を超えたアーティストが招聘されるだろう。だからこそ、ファン同士がお互いのカルチャーにリスペクトをしつつ、「気にしない」ことが求められるといっていい。

その上で、デヴィッド・バーンのアクトで腕を前後に動かしても良いし、マカロニえんぴつのアクトで首を振って踊り狂っても良いのだと思う。そういうフロアこそ「自由」だのだから。

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